2016年2月13日土曜日

新宿でひとやすみ

昨日は御茶ノ水と新宿へ外出。甲州街道から少し入ったプーク人形劇場で休憩。

車や人が多い通りに面していますが、
植物があるので思いのほかのんびりできます。
飲み物もおいしい。

45周年おめでとうございます。

毎度この扉に癒される。今回は開いてました。

こちらはお正月の画像。今年と思ったら昨年だった。。
その時のブログはこちら

前にも書きましたが、この扉があることで「開場までお待ちください」なんて言葉は不要。町や物には「〜できません」だの「〜にご注意ください」がベタベタと貼られててうんざり。他人事のように書いてますが、メーカーでデザイナーをやっていたこともあるし、テクニカルライターだし、当事者の一人。「何とかしないとなあ」、といつも考えていたりします。



再び新宿駅へ。新宿へ行ったら京王百貨店屋上の鯉を見ないではいられないわけで。
改装前はたくさんあった屋外の金魚や錦鯉の水槽はご覧の通り。

気温が高めの日中ということもあり、鯉はばらけてます。

さっそくいる。

お約束で水槽を軽くトントン。

でもまた寝る。ところ構わず寝る。

で。別の水槽にもいるわけですわ、一匹だけでれーんと寝そべるやつが。

こちらは寝そべるのはいないものの、、、

…何故そっちを向く。


いくらでも時間を潰せるわけですが、そうもしていられないので屋内の熱帯魚を軽くチェックして次の用事へ。熱帯魚ブースでは小さなサメもいました。家で飼えるんだ、サメ。まあ、サメも鯉も熱帯魚も飼おうとは考えてません。見るだけー。


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そして今日は寝込みました。発熱とだるさでどうにもこうにも。夫が朝イチで出かけるというので朝食を作り、夫が帰宅したのでズルズルと起き上がり、台所仕事が終わったところ。あとは布団の中。

疲れているならブログ更新してないで寝てろ!ではあるのですが、まだまだ更新してないネタがあってさあああああ。料理のブログなんて全然更新してなくてさあああああ(こちらは明日更新予定)。ってことで、PCの前に居るのは15分!と決めての更新です。

次回は映画の話を。

2016年2月8日月曜日

西村哲也「太郎月レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」——渋谷七面鳥

時間があきましたが、1月30日は「現代豆腐百珍」に参加させていただいた後、西村哲也さんのライブへ行ってきました。

出演は、前回行った時と同じく、西村哲也さん、大田譲さん、
伊藤隆博さん、 矢部浩志さん、 大田真緒さん。

馴染みのない方もいらっしゃると思いますが、西村哲也さんをはじめ、豪華メンバーのライブです。

現在ソロ活動されている西村哲也さんは、元GRANDFATHERSメンバー。そして書くまでもなく、ベースの大田譲さんは、同じく元GRANDFATHERSのメンバーであり、現在はカーネーションメンバー。ドラムの矢部浩志さんは、元カーネーションメンバーで、鈴木慶一さん率いるControversial Sparkでも活躍中。キーボードの伊藤隆博さんは、堀込泰行さん(元キリンジ)、YUKIさん(元JUDY AND MARY)などのツアーでよくサポートに入られています。…改めて書くとやっぱ凄いな。


まるで自宅へ招かれているような空間と雰囲気の中、このメンバーの演奏を聴けるわけです。渋谷七面鳥は私の行ったライブでももっとも小さいクラスのライブハウス。ステージと客席の距離はこんなです。そして雰囲気はこんなです。



楽しくないわけがない。今回は新曲も演奏!どの曲も良かったのですが、強いて言えば、「poo」が好き〜。そして、密かに楽しみにしていたのが、矢部浩志さんのドラム。なぜって、矢部さんのドラムはなかなか聴くチャンスがないのです。凄い迫力でした。。今回はその矢部さんが慌てる(椅子のアクシデントで演奏を一時中断)という超レアな姿も拝見。西村さんと大田さんのトークも楽しく、またも贅沢な時間を過ごさせていただきました。



西村さんの動画が少ないのでグラファン時代の映像を。


デヴィド・ボウイ追悼。ラストはこの曲。


コーラスで入られていた大田真緒さん。ソロではこちらの曲を歌われました。真緒さんの声にドンピシャな選曲!日本人女性に多いキーンとした声が苦手な私。真緒さんの歌声は本当にいいの〜。

西村さんがGlim spankyのことも触れていました。ここ一ヶ月私の周りではGlim spankyがよく話題にのぼってたのでタイムリー。




2月に行くライブは、堂島孝平さん。その前に直枝さんのライブにも行きたいけど、さすがに遊びすぎ。色々とやらねばなりません。3月は電気グルーヴのチケットを入手済み。カーネーションも行く予定です。行きたいけど迷っているのが4月のChar。うーん、うーん、また無茶苦茶なスケジュールにならないよう計画立てなきゃ。

2016年2月7日日曜日

私にとって武術とは

Defficという截拳道(ジークンドー)実践団体に所属しいます。体調不良のため長く稽古を休んでいますが、少しずつ復帰していきたいと思ってます。


ブログを見てくださっている方、私を知る方、およそ私と武術は結びつかない方が多いかと。実際、入門のきっかけは成り行きです。興味すらありませんでした。そんな私が続けていきたい、と思ったのは、丹師父の絶えず新たな可能性を追求し続ける姿勢、そこから生まれる強く美しい動き、その姿に魅せられたから。そして私自身が楽しいから。


――ではあるのですが、これだけでは言葉が不足しているかもしれません。これらの補足(というには長いけど)、そして私にとっての武術について、取り留めもない内容ですが書いていこうと思います。


武術への興味こそなかったものの、「いかに生きるか」「いかに死ぬか」は常に私のなかにありました。漠然と書いても何が何やらなので具体的にいきます。

何度か書いてますが、14才の時に実家の家業が倒産。その騒動の中、殺されかけ三途の川を渡りかけたことがあります。ほぼ同時に両親は失踪、親戚宅を転々としながら、一人で生きていく術を考えざるを得なくなりました。

「俺(私)は、弱い人間だから」と口にする方がいらっしゃいますが、私の言葉の定義ではその多くが「甘い」だけ。弱いとね、死んじゃうの、マジで!!!

己の弱さと甘さを痛感した14才の少女は、「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーまんまに「生き抜く」と誓う。そう誓うものの、冷静になればなるほど、「どうすんだ、これ」な状況。受けた暴力や死の恐怖。それは忘れることのできない類いの経験ではあるけれど、もっと身近で差し迫った恐怖がやってきます。それは生活。

債権者の怒号と鳴り続く電話。こんな状態で親戚宅に長く居候させてもらうわけにもいかず、居場所を転々とするので学校にも通えない。受験は?このまま卒業?債権者の人たちが言うようにフーゾクにいくしかないの?大人であれば、お金があれば、力があれば――そう嘆いたところで何も変らない。そこで最初に起こしたアクションは、色々わかんないから人生保留しよー、この際だから東京へ行こうー、ってことで留年と上京を画策&決行。こうして一年間の猶予ができ、生活基盤を整えはじめます。

けれど皮肉なことに、身の安全の確保、生活に必要なものが満たれるほどに、「あの時に死んでいたらよかったのに」とも思うようになりました。生命維持だけが「生きる」ではない。この時にはじめて「いかに生きるか」を突きつけられます。

それからの月日も簡単にいくわけもなく、14才の時に起きた出来事など鼻で笑っちゃうような問題が次々にやってきました。私自身も「何やってんだテメー」な所業を繰り返します。都度、足掻きに足掻きまくる。ぐっとんぐっとん。生きることは自由かも〜そう感じられるようになったのは、四十近い年になっていました。


そんな春うららな四十才を迎える頃、武術へのお誘いがありました。

その時の感想は「きたな」。今度は、殴られないよう、殺されかけないよう、その技を身につける時期か、と。けれど、稽古に参加し、この先も武術を続けようと思いはじめた頃、それらは「?」になっていました。

「抗う力が欲しいもん」それはそうなんだけど、、、。
「身につけることで、より自由になれそう」それはそうなんだけど、、、。

いずれも武術で得られるであろうことだとは思います。でもそれをモチベーションに武術を続けたいか、と言えば、違う。私はもう「~のため」みたいなものに飽き飽きなのです。うんざりなのです。それからも考え続けたけれど、やはり私は、丹師父に魅せられ、楽しいから続けたいのだと思います。

楽しいのであれば、武術でなくてもよいのかもしれない。確かに、武術を習うこと、物を作ること、音楽を聴くこと、町を歩くこと、人と語り合うこと、心惹かれる様々なこと――私には明確な区分ができない。それらは、私という肉体の外にあるもの。そして、私と一つになっていく感覚を得られるもの。母体から産み出されてから先、一人でその命を預かり、生きて、死ぬ。一人だ。それは免れないものではあるけれど、私の外側にあるそれらと一つにもなれる。生きている今も、きっと死んでいく時も。私にとって、その一つが武術なのだと思うのです。


…とりあえずこんなところで。
長い文章におつきあいいただきありがとうございました。