2016年2月7日日曜日

私にとって武術とは

Defficという截拳道(ジークンドー)実践団体に所属しいます。体調不良のため長く稽古を休んでいますが、少しずつ復帰していきたいと思ってます。


ブログを見てくださっている方、私を知る方、およそ私と武術は結びつかない方が多いかと。実際、入門のきっかけは成り行きです。興味すらありませんでした。そんな私が続けていきたい、と思ったのは、丹師父の絶えず新たな可能性を追求し続ける姿勢、そこから生まれる強く美しい動き、その姿に魅せられたから。そして私自身が楽しいから。


――ではあるのですが、これだけでは言葉が不足しているかもしれません。これらの補足(というには長いけど)、そして私にとっての武術について、取り留めもない内容ですが書いていこうと思います。


武術への興味こそなかったものの、「いかに生きるか」「いかに死ぬか」は常に私のなかにありました。漠然と書いても何が何やらなので具体的にいきます。

何度か書いてますが、14才の時に実家の家業が倒産。その騒動の中、殺されかけ三途の川を渡りかけたことがあります。ほぼ同時に両親は失踪、親戚宅を転々としながら、一人で生きていく術を考えざるを得なくなりました。

「俺(私)は、弱い人間だから」と口にする方がいらっしゃいますが、私の言葉の定義ではその多くが「甘い」だけ。弱いとね、死んじゃうの、マジで!!!

己の弱さと甘さを痛感した14才の少女は、「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーまんまに「生き抜く」と誓う。そう誓うものの、冷静になればなるほど、「どうすんだ、これ」な状況。受けた暴力や死の恐怖。それは忘れることのできない類いの経験ではあるけれど、もっと身近で差し迫った恐怖がやってきます。それは生活。

債権者の怒号と鳴り続く電話。こんな状態で親戚宅に長く居候させてもらうわけにもいかず、居場所を転々とするので学校にも通えない。受験は?このまま卒業?債権者の人たちが言うようにフーゾクにいくしかないの?大人であれば、お金があれば、力があれば――そう嘆いたところで何も変らない。そこで最初に起こしたアクションは、色々わかんないから人生保留しよー、この際だから東京へ行こうー、ってことで留年と上京を画策&決行。こうして一年間の猶予ができ、生活基盤を整えはじめます。

けれど皮肉なことに、身の安全の確保、生活に必要なものが満たれるほどに、「あの時に死んでいたらよかったのに」とも思うようになりました。生命維持だけが「生きる」ではない。この時にはじめて「いかに生きるか」を突きつけられます。

それからの月日も簡単にいくわけもなく、14才の時に起きた出来事など鼻で笑っちゃうような問題が次々にやってきました。私自身も「何やってんだテメー」な所業を繰り返します。都度、足掻きに足掻きまくる。ぐっとんぐっとん。生きることは自由かも〜そう感じられるようになったのは、四十近い年になっていました。


そんな春うららな四十才を迎える頃、武術へのお誘いがありました。

その時の感想は「きたな」。今度は、殴られないよう、殺されかけないよう、その技を身につける時期か、と。けれど、稽古に参加し、この先も武術を続けようと思いはじめた頃、それらは「?」になっていました。

「抗う力が欲しいもん」それはそうなんだけど、、、。
「身につけることで、より自由になれそう」それはそうなんだけど、、、。

いずれも武術で得られるであろうことだとは思います。でもそれをモチベーションに武術を続けたいか、と言えば、違う。私はもう「~のため」みたいなものに飽き飽きなのです。うんざりなのです。それからも考え続けたけれど、やはり私は、丹師父に魅せられ、楽しいから続けたいのだと思います。

楽しいのであれば、武術でなくてもよいのかもしれない。確かに、武術を習うこと、物を作ること、音楽を聴くこと、町を歩くこと、人と語り合うこと、心惹かれる様々なこと――私には明確な区分ができない。それらは、私という肉体の外にあるもの。そして、私と一つになっていく感覚を得られるもの。母体から産み出されてから先、一人でその命を預かり、生きて、死ぬ。一人だ。それは免れないものではあるけれど、私の外側にあるそれらと一つにもなれる。生きている今も、きっと死んでいく時も。私にとって、その一つが武術なのだと思うのです。


…とりあえずこんなところで。
長い文章におつきあいいただきありがとうございました。