江ノ島へ向かう路線。
二十代半ば、この沿線で恋人と同じマンションに暮らしていた。
「二度とここへは来ない」そう思っていた町に二十年以上振りに降り立った。
隣駅を出る頃、「お昼はどうする?」と言う夫に「次で降りて食べようか」となり、急きょ途中下車。「せっかくだしマンションでも見にいきますかー」と提案したものの、はじめての町のようにどちらに向いて歩き出してよいのかわからない。それでも特徴のある交差点にさしかかり、あと数十メール先にマンションがあるだろうと確信した時に雷が鳴り、駅へと引き返した。そうそう、こんなもんだよ。
恋が終わるたび、忘れ去ることが最後にできる唯一だと思っていた。
忘れようと思うことが、思い出すことだとわかっていても、そう思うしかないじゃない。酒を煽り、友だちと「デブになれー!」「ハゲてしまえー!」とささやかな呪いをかけては泣いて笑って夜が深ける。そんな夜を繰り返し、やがて「もう関係ない」となり、「いたね、そういう人」となるまで根性かけて忘れる。
忘れようと思うことが、思い出すことだとわかっていても、そう思うしかないじゃない。酒を煽り、友だちと「デブになれー!」「ハゲてしまえー!」とささやかな呪いをかけては泣いて笑って夜が深ける。そんな夜を繰り返し、やがて「もう関係ない」となり、「いたね、そういう人」となるまで根性かけて忘れる。
「にしても、グッとくるかと思ってたんだけどなあ」と私。
「そういうのって一人胸に秘めておくものじゃないの?」と呆れ顔の夫。
へへへー。胸にも腹にも溜めておけない性分は君が一番知っているはず。
見晴らしのよい、水はけのよい場所に身を置きたい。
年を重ねるごとに、アレコレとやらかすたびに、その思いは強くなる。
だからあの町のことだけが引っかかっていた。
逃げるように去った町。
現実を受け入れられなかった町。
何もかも見えなくなっていた町。
私が私を信じられなくなった町。
現実を受け入れられなかった町。
何もかも見えなくなっていた町。
私が私を信じられなくなった町。
ああ、つまりは私自身への決着だったのか。
結局、懐かしさも痛みも切なさもやってこなかった。何の感情も動かないことに感慨深くなっただけだった。おまけに自分と町への気持ちを確認するだけで彼の顔の一つも思い出さなかったと気づき「スゲーなお前」と私の中の私に唖然とする。忘れるにしても限度があるだろう。薄情とはこのことか。まあ薄情も情のうち、だ。
夫に「ごめんよおう」と言いつつ、駅前のトンカツ屋で食事をし、再び電車に乗り江ノ島へ向かう。もうここには来ないだろうなあ、なんてことをまた思う。うん、来てもいいし、来なくてもいい。やっと私の二十代が終わった。